この記事の見どころ
1990年代後半のヒップホップ商業化への痛烈なアンチテーゼ。Madlibの分身Quasimotoが、メインストリームの「Whack shit(陳腐な音楽)」を一蹴しながら、クレートディギングの精神とAstro blackの宇宙的黒人意識を宣言する。
2013年リリースのコンピレーション『Yessir Whatever』収録。録音自体は1990年代後半、Madlibがデビュー作『The Unseen』(2000年)制作期に遡ると見られる。ビートはGershon Kingsley「Rebirth」(1970年)のサイケデリックなシンセとベースラインを核に、Diamond Dのヴォーカルチョップを重ねた。
Puff Daddyらが席巻するシャイニー・スーツ・エラへの反逆。Madlibはカリフォルニア州オックスナードの地下室でピッチシフターを駆使し、自身の声を高く加工した悪童キャラクター「Quasimoto(Lord Quas)」を作り出した。Stones Throw Recordsの創設者Peanut Butter Wolfに見出され、世に送り出されたこのプロジェクトは、ローファイ・ヒップホップの源流として世界中のプロデューサーに影響を与え続けている。
Brothers can't see me
Brother Madlib自身のプロダクション名義「Madlib Invazion」への言及。異端のサウンドがシーンを侵略するというマニフェスト
Check it out
Brothers can't see me
あいつらじゃ俺の足元にも及ばないぜ
ブラザー・マッドリブの侵略が始まる
聴いてみな
誰も俺のレベルには達しちゃいない
(Yo, Quasimoto taking over these airwaves
Flip the bow, never hitting with fair play)
Yo、Quasimotoがこの電波を完全に乗っ取るぜ
常識を覆してやる、最初から正々堂々としたプレイなんてする気はない
My style hit you all in your auditory
Now adays when I buy a tape, yo that shit be boring me
俺のスタイルはお前らの聴覚神経に直接ブチ当たる
最近テープを買っても、Yo、どれもこれも退屈なクソばかりだ
★ Whack shitへの宣戦布告
I be paying good money, to hear some ダサい・質の低い音楽。1980年代NYから広まったヒップホップ用語「whack」+shit。商業主義に迎合したメインストリームラップを揶揄
Take it back to the warehouse and tracked it
あんなダサい音楽(Whack shit)を聴くために、俺は高い金を払ってるってのか
そんなもんは倉庫に送り返して、出所を突き止めてやる
We be moving on you, we up on the nightly
Stepping over this way, you just might find fate
俺たちはお前らの背後に忍び寄る、夜な夜な活動してるんだ
こっちの世界(アンダーグラウンド)に足を踏み入れれば、お前は自分の本当の運命を知るかもしれないぜ
★ Astro black——宇宙的黒人意識
We on it like a witch hunt, I recommend Sun Raの1973年同名アルバムおよびアフロフューチャリズム哲学に由来。地上の抑圧を超越した宇宙的・実験的精神状態
When you're talk about trying stitch stunts
俺たちは魔女狩りのように執拗だ、お前らには「Astro black」を勧めるぜ
お前らがチマチマしたスタント(見せかけの技術)をやろうって話をしてる時にな
★ Lootのダブルミーニング
Told to motivate the クレートディガー。古いレコードを熱心に発掘するビートメイカーやDJへの敬称。「Crate」は中古レコードが入った木箱・段ボール
Invest ya ①金・戦利品を意味するストリートスラング ②Madlib自身が結成したグループ「Lootpack」の名前、のダブルミーニング , Digga be heard, every state molested
これはクレートディガー(レコード発掘者)たちのモチベーションを上げるために言ってるんだ
稼いだ金(Loot)をレコードに投資しろ、ディガーの音が響き渡り、すべての州を侵略してやる
(Why you trying to メインストリーム・ポップス市場に迎合しスタイルを変えること。アンダーグラウンドでは「魂を売る」行為として批判された black?)
I be getting high, 「Fat(Phat)」は90年代黄金期スラングで「最高・重低音の効いた良質な音」を意味。商業主義に妥協せず本物の音を保つ姿勢
(なぜお前らはメインストリームに迎合(クロスオーバー)しようとするんだ?)
俺はハイになりながら、この分厚いドープな音(Fat)を保ち続けるだけさ
Brothers can't see me
Check it out
あいつらじゃ俺の足元にも及ばないぜ
聴いてみな
★ Beat Conductor——音のコンダクター
Madlib the bad kid, I'm the one that'll hit you with the total bliss
Whether クリアな音から、アナログレコード特有の極端なノイズ音まで。「poppin' hiss」は古いレコード針の音(パチパチ)。Madlibはこの「汚れ」を美学として肯定する
マッドリブ、あの悪ガキさ、俺がお前らに極上の至福(Total bliss)をぶち込んでやる
それが極めてクリアな音だろうと、狂ったように汚れたポップノイズやヒスノイズだろうとな
My shit sound better than yours, I got the force
Why you going off course like you're 下着を渡す(脱ぐ)から転じて、権力や巨大レコード会社に対して簡単に身を任せる(セルアウトする)様子を卑猥な比喩で表現したストリートスラング
俺の音はお前らのより遥かにヤバい、俺には「フォース」が宿っているからな
なぜお前らは下着を差し出すように、簡単に道を外れて(セルアウトして)しまうんだ?
Yo its the ビートの指揮者。オーケストラの指揮者のように無数のレコードの断片を再構築して独自の音楽的宇宙を創り上げるMadlib自身の異名 , ya I went on tour
The only thing different is that you see a lot more
Yo、これがビートの指揮者(Beat Conductor)だ、そうさ、俺はツアーにも出た
唯一の違いは、俺がより多くのものをこの目で見ているってことだ
Niggas 自分が持っていない力や財力があるように見せかけること。虚勢を張る行為 , bitches 高級車や宝石などで過剰に自己顕示すること。見栄を張る行為
(So Lord Quas keep it onto something, even if it's nothing)
野郎どもは虚勢を張り、女たちは見栄を張る
(だからロード・クアスは、たとえ無意味に見えても、何かを追求し続けるんだ)
★ 97年への言及——時代の証言
(Yo why's that)
Cuz most ya'll niggas is about ハッタリ。実力のないふりをして相手を欺くこと。ポーカー用語から転じたスラング
While we just trying to keep it on 解釈が分かれる難解なスラング。「Stacks(大量の価値)」またはアナログの質感を保つ意図とする説がある
(Yo、どうしてかって?)
お前らのほとんどが、ただのハッタリ(Bluffin')で生きているからさ
俺たちがただ、本物の質感(A-Stac)を保とうとしてる間にな
Because the static what ya huffin'
Word to ASAP, ya'll need to bring it back
Cause in '97 a lot of niggas lack
なぜなら、お前らが吸い込んでるのは、ただのノイズ(Static)でしかないんだから
ASAPに誓って言うぜ、お前らは原点に立ち返るべきだ
なぜなら、97年の時点で多くの連中が本質を見失っていたからな
Brothers can't see me...
Brothers can't see me...
(Instrumental fades out with scratching and static noise)
誰も俺のレベルには達しちゃいない…
誰も俺には敵わない…
(スクラッチ音とレコードのヒスノイズと共にインストゥルメンタルがフェードアウト)
シャイニー・スーツ・エラへの反逆
1990年代後半、The Notorious B.I.G.と2Pacの死後、Puff Daddyらが牽引するシンセ主体の「シャイニー・スーツ・エラ」がヒップホップのメインストリームを席巻した。オックスナードを拠点とするStones Throw陣営は、SP-1200やSP-303といった旧式サンプラーを駆使し、レコードの針音やヒスノイズをあえて残すことで、ヒップホップ原初のザラついた質感(Boom Bap)を守り続けた。
Afrofuturism × Hip-Hop
伝説的フリージャズ思想家Sun Ra(サン・ラー)は1970年代、「黒人の真の故郷は地球ではなく宇宙(Spaceways)にある」という壮大な神話を提唱した。MadlibはこのAstro black哲学をヒップホップに持ち込み、物質主義に塗れた地上のシーンから精神的に離脱する「音のコンダクター」としての自負を楽曲で表明している。
キーワード解説
制作秘話 01
Madlibはマジックマッシュルームを摂取しながら、約1ヶ月間外界との接触を絶ち地下室に籠もり、膨大なレコードコレクションをディギングしながらビートとラップを同時に構築していった。ローリング・ストーン誌のインタビューで「マッシュルームこそが俺にQuasimotoをやらせた根源だ」と語っている。意識を拡張させた状態が生み出した「ズレ」や「ヨレ」、そしてハイピッチの異常なボーカルワークこそがQuasimotoの正体である。
制作秘話 02
ビートの核となる重厚なベースラインとサイケデリックなシンセリフはGershon Kingsley「Rebirth」(1970年)から。Gershon Kingsleyはモーグ・シンセサイザーの先駆者であり、この初期電子音楽の奇妙な質感をブームバップに落とし込む発想がMadlibの特異性を示す。フックの声ネタはDiamond D「Best Kept Secret」(1992年)から引用し、東海岸のサンプリング・マナーへの深いリスペクトを示している。さらにMadlib自身が所属するLootpackの楽曲「Wanna Test」(1999年)からボーカルチョップを使用し、過去から現在への音楽的連続性を刻んでいる。
制作秘話 03
本楽曲が収録されたアルバム『Yessir Whatever』(2013年)は、MadlibとQuasimotoが約12年間制作してきた未発表曲・レア音源のアーカイヴ。初期プレス盤のジャケットはフロントのシールを剥がすとキャラクターの「内臓」が見える仕掛けで、12年間の未発表の「内部」を曝け出すというシニカルなメタジョークを含んでいた。
後世への影響
Quasimotoプロジェクトが確立した「サイケデリックなキャラクター・ラップ」「意図的な音の汚れの美学」「アフロフューチャリスティックなビートメイク」は、現代のローファイ・ヒップホップムーブメントの直接的な源流となった。京都出身のプロデューサーToyomuは「Quasimotoのプロジェクトに強いインスピレーションを受けた」と公言し、SP-303の独特のズレやヨレを自身の制作に取り入れている。
Quasimoto
Oxnard, California · 1999–
Madlib(Otis Jackson Jr.)がピッチシフターで声を高く加工して生み出した悪童キャラクター「Lord Quas」。Stones Throw Recordsからデビュー作『The Unseen』(2000年)をリリースし、アンダーグラウンド・ヒップホップとローファイ・ビートシーンに絶大な影響を与え続けている。