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Phone Tap — The Firm 和訳・スラング解説

アーティスト
The Firm
リリース年
1997
プロデューサー
Dr. Dre & Chris "The Glove" Taylor
収録アルバム
The Firm: The Album
エリア
NY
BPM
89
サンプル元
Chris Barber's Jazz Band "Petite Fleur" (1956)

この記事の見どころ

  1. 01 FBI監視をテーマにした「電話盗聴」という実験的ナラティブ構造
  2. 02 Feds・stee'・static・gats・trees など90s NYスラングを単位別解説
  3. 03 Dr. Dre × Chris "The Glove" Taylor制作、Chris Barber's Jazz Bandサンプル(1956年録音)

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解説

■盗聴線の向こうに、誰がいる?

AZ("Sosa")とNas("Esco")が交わす電話に、連邦捜査官(Feds)が盗聴器を仕掛けている。これが「Phone Tap」の設定です。1997年リリース、The Firm(Nas・AZ・Foxy Brown・Nature)のデビューアルバム収録。Dr. Dreがエグゼクティブプロデューサーを務め、フックも自ら担当している。

面白いのはFoxy Brownがグループメンバーでありながら、この曲には一切登場しないこと。The Firmとしての曲というより、Nas・AZ・Natureという通話相手と、捜査側であるDreという対立構造で成立している一作です。

複数の話者が「電話のやり取り」という形式でバースを繋いでいく構成は、当時のヒップホップとしてかなり実験的だった。しかも全体に「盗聴されているかもしれない」という緊張が漂うせいで、登場人物たちは言葉を選びに選ぶ。その「普通の会話に見せかけた情報交換」がリリック全体の緊張感を作っている。その緊張の中に、街のスラング・隠語・AAVEの省略がぎゅっと詰まっていて、英語学習の教材としても読み応えがある。

■なぜPhone Tapが教材として面白いか

ストリートの語彙を「危機的状況での日常会話」という文脈で学べるのが、この曲の特徴です。Feds(連邦捜査官)・static(もめ事)・gats(銃)・stee'(スタイル)など、辞書には載らないがNYのヒップホップには頻出の語が、一本の通話ドラマの中に自然に散りばめられている。

個々の語を覚えるよりも、誰が誰に向けて何を伝えようとしているかという「状況の文脈」の中で覚えると格段に定着しやすい。Phone Tapはその意味で稀有な文脈を提供してくれます。制作はDr. DreとChris "The Glove" Taylorの共同作業。サンプル元はChris Barber's Jazz Bandの"Petite Fleur"(1956年録音)で、あの哀愁漂うクラリネットのフレーズが全編を包んでいます(50年代のブリティッシュ・ジャズが90sのNYストリートの緊張を演出するという、サンプリングの妙)。

ストーリーの流れ — まず曲全体をつかむ

個々のスラングに入る前に、まず曲の流れを散文でつかんでおきましょう。複数の人物が通話でリアルタイムに情報を交わす構造で、「誰かに盗聴されているかもしれない」という前提が全編に漂っています。

Verse 1(AZ):AZがフィラデルフィアに到着した直後、Nasに電話をかける。連邦捜査官(Feds)が周囲を動き回っているという緊迫した状況。共通の知人「Lynn」を待ち伏せしているが行方が分からない。日常会話のトーンを保ちながら、実は危険な情報が流れている。

Verse 2(Nas & AZ):NasはCLKで移動し、息子に玩具のトラックを買った話から入る。マリファナ(trees)で気分を落ち着かせながら背後のカセットからStephanie Millsが流れている、という個人的な描写が、次の瞬間「お前が逮捕されたって聞いたぞ」という詰問に切り替わる。最後に「static is thick(状況がやばい)」と言い電話を一時切る。

Hook(Dr. Dre):「俺たちはお前の電話を盗聴しているぞ。どうするつもりだ?」。Dreが捜査側の声として割り込む。ラッパーの会話と連邦捜査官の傍受が、同一の楽曲空間で交錯していくんです。

Verse 3(AZ):AZがホテルで仲間(Mo)の死の知らせを受ける。ダッチ(Dutchie)に火を点けて落ち着かせようとするが、電話が盗まれている感覚が体を覆い、一人で銃(gats)と防弾ベストだけを相棒に動く。

Verse 4(Nas):「目を開けておけ、賢く動け」とNasが警告を発する。かつての誓い、今手にした富、そして続く危険。窓の外には嵐が近づいている。

Verse 5(Nature):デコイの女2人が写真を持ち居場所を探り回っているという情報が届く。「俺は何も教えなかった。あいつらは警察とつながってるかもしれない」。

Verse 6(Nas):NasはAZに向けて最大の警告を発する。「逃げる余地はない。俺たちはFBIのMost Wantedだ。服を替えて荷物をまとめろ、早く帰ってこい」。Hookが再び鳴り響く。

※本ページは批評・教育目的で、解説に必要な範囲の断片のみを引用しています。全歌詞の対訳は掲載していません。

学ぶ表現 — スラング・隠語・AAVE

各見出しは「この曲から学べる英語表現」。マイクはMC担当、▶は映像の該当箇所への頭出しリンク(秒数は概算)。英語引用は1〜2行の断片のみ。先に英語を音で追ってから日本語解説に進んでください。

Feds floatin' around silly — 連邦捜査官を指す隠語と「浮遊する監視」

★ スラング/実録
AZ(Verse 1) ≈0:28

Feds floatin' around silly

連邦捜査官どもがやたらうろちょろしてる

▶ Verse 1の序盤、AZがフィラデルフィアに着いた直後の一言。

上の一行、行頭の Feds(フェッズ)がまず学習ポイント。FBI・DEA・ATF など連邦捜査機関の捜査員を指す街のスラングで、NYヒップホップでは頻出の語です。地元警察(NYPD)を指す Jakes5-0(five-oh)とは別物で、連邦レベルの機関を指すこの区別は、ヒップホップのリリックを読む上で一度押さえると後がずっと楽になります。その後ろの floatin'、float(浮く・漂う)の進行形で、監視のために静かに動き回っている様子を表している。「泳ぐ」でも「歩く」でもなく「浮遊する」という動詞の選択が、捜査官の不気味な遍在感をそのまま言語化している。末尾の silly(やたら・ばかみたいに)は強調の副詞。5語だけで「連邦捜査官がそこら中でうろうろしている」という場の空気が立ち上がってくる。

語法 — どう使うか ▼

Feds は Federal (agencies / agents) の略。the Feds are watching(連邦が見ている)、Feds knocked on the door(連邦が踏み込んできた)のように使う。地元警察を指す Jakes(NY特有)・5-0(全国的)との使い分けを知ると、誰が何を恐れているかという文脈が読めるようになる。silly を副詞で使う用法。tired silly(くたくたに疲れた)、rich silly(信じられないほど金持ち)のように「〜で頭がどうにかなりそうなくらい」という強調の意で使う口語表現。

Trees got me wet — 「木」が「大麻」になる隠語の論理

★ スラング(隠語)
Nas(Verse 2) ≈2:12

Trees got me wet

(マリファナで)いい感じになってる

▶ Verse 2中盤、Nasが移動中の車内のムードを描写する一行。

「Trees got me wet」。行末の wet から。「濡れた」ではなく、ここでは「快感で酩酊した・浸っている」状態を指す口語表現。ドラッグ・アルコール・音楽など、何かに心地よく「浸かっている」状態を wet で表すのはAAVE的な比喩の典型です。そして trees、木ではなく大麻(marijuana)の隠語。植物形状から来た比喩で、weed / herb / green と並ぶ定番の言い換えの一つ。直前のバースで緊迫した話をしていたのに、Nasが一瞬「今高くなってる」と挟む。この対比が、張り詰めた通話劇に一瞬の人間的な隙間を作っている。

語法 — どう使うか ▼

trees(大麻の隠語)と同義語: weed, herb, green, grass, reefer, Mary Jane など時代・地域によって使われる語が異なる。trees は90s〜00sのNYで特に多く使われた。got me + 形容詞 の構造。「〜な状態にしてくれた・させてくれた」という表現。got me thinking(考えさせてくれた)、got me feeling some type of way(複雑な気持ちにさせられた)のように、感情・状態の原因を示すときに使われる。

That ain't ya stee' / low-key when O-T — スタイルと街の作法

★ スラング(NY固有)
Nas(Verse 2) ≈2:35

That ain't ya stee', you usually low-key when O-T

それはお前のやり方じゃないだろ、お前はいつも遠征中は目立たないようにしてるはずだ

▶ Verse 2終盤、NasがAZの最近の行動(逮捕・警官との喧嘩疑惑)を疑問視する件。

行の前半、「That ain't ya stee'」。stee'(スティー)は style の短縮形で、語尾を喉音で引っ張る発音。「お前のスタイルじゃない」=「それはお前らしくない行動だ」という意味になる。単なる「ファッションのスタイル」ではなく、その人の行動原則・立ち居振る舞い・人格的なスタンスまでを含む言葉として使われる。行の後半の O-Tout of town(地元を離れた遠征先)の短縮形。low-keyは「目立たず、静かに動く」という形容詞・副詞。今では広く一般に普及したスラングだけど、この時代の使い方は純粋に「ストリートで目立つな」という生存戦略の言葉だった。NasがAZに対して「いつも遠征先では目立たないようにするはずだ」と言っているのは、単なる批判ではなく仲間を心配してかける言葉で、その重みがこの一行に乗っている。

語法 — どう使うか ▼

stee'(= style)の用法: That's my stee'(それが俺のやり方)、ain't his stee'(奴のスタイルじゃない)のように使う。行動・美学・人格的傾向を指す。O-T(out of town)は「他の街・他の州への遠征」を指し、麻薬の販売網を他の街へ広げる行動という文脈でも出てくる語。move O-T(他の街に出稼ぎに行く)のように動詞と組み合わせる。low-key は現在では「こっそり・地味に」という一般的な副詞としても使われるが、ヒップホップでの原義は「注目を浴びないよう行動する」という生存戦略的な言葉。

the static is thick — 「雑音」が「危険」を指すダブルミーニング

★ スラング/比喩
Nas(Verse 2) ≈2:50

Yo son(仲間・友人)を意味するNY特有の呼びかけ語。クイーンズ・ブルックリン周辺のスラング , I'll hit you right back 'cause the static is thick

おい、すぐかけ直す——今は状況がやばいから

▶ Verse 2の最後、Nasが一時電話を切ろうとする件。

行頭の dunnは、NYクイーンズ・ブルックリン周辺のスラングで「仲間・友人(son)」にあたる呼びかけ語。son が転じて dunn になったとも言われ、NasやAZのリリックに頻繁に登場する。知っていると「Nasのクルー的なコール」として聞こえるし、知らないと通り過ぎてしまう。そして行末、「the static is thick」。表面上は「電話の雑音がひどい」だが、static はストリートスラングで「トラブル・もめ事・危険な状況」を指す。だから「今は状況がやばいから切る」という意味が同時に走っている。盗聴されているかもしれない状況で「回線が悪い」と言えば捜査側には技術的な問題に聞こえ、相手には「ヤバい」と伝わる。完璧なコード・スイッチング( 状況や相手に応じて言語スタイルや語彙を切り替えること。ヒップホップでは裏の意味と表の意味を同時に走らせる高度な言語技術 )なんですよね。

語法 — どう使うか ▼

static(スラング)=「もめ事・余計な口出し・危険な圧力」。I don't want no static(もめ事はごめんだ)、there's static in the block(ブロックに緊張が走っている)のように使う。thick(=濃い・深刻な)と合わせて "static is thick" =「状況が深刻にやばい」。hit you back は「かけ直す・折り返す」。I'll hit you back=「折り返すよ」は日常英語でも使える表現。

We got yo' phone tapped — 法執行用語がそのままタイトルになるまで

★ フック/文化
Dr. Dre(Hook) ≈3:05

We got yo' phone tapped, what you gonna = going to の口語短縮形(AAVE)。未来・意志を表す do?

俺たちはお前の電話を盗聴してる——どうするつもりだ?

▶ Verse 2とVerse 3のあいだ、Dr. Dreが捜査官の声として初めて割り込む件。

行頭の yo'your の短縮形(AAVE的な発音の省略)。そして phone tappedtap は「盗聴する」という動詞で、wiretap(盗聴装置) の "tap" と同じ語根から来ている法執行用語。令状を取って行う合法的な盗聴も、非合法なものも、この語で指す。行末の gon'(= gonna = going to)は、AAVEで未来・意志を示すときの口語短縮形。What you gon' do?(どうするつもりだ?)は "What are you going to do?" が実質2語に圧縮されている。Dr. Dreがフックを担当することで「捜査側の声」と「ラッパー側の声」が一枚の楽曲の中に同居するという映画的な構図が生まれていて、これが曲全体の緊張を統合している。プロデューサーが監視する側を演じる、なかなかメタな仕掛けだと思います。

語法 — どう使うか ▼

tap(盗聴する)は他動詞。tap a phone / a line(電話・回線を盗聴する)、the lines were tapped(回線が盗聴されていた)のように受動態でも使う。gon'(= gonna = going to)は未来を示すAAVEの短縮形。I'm gon' do it(やるから)、You gon' regret this(後悔するぞ)のように主語の後に置いて意志・予定を表す。gonna のさらなる短縮で、発音は「ゴン」。

lit a Dutchie — ブランド名がそのままスラングになる転用の典型

★ スラング/文化
AZ(Verse 3) ≈3:32

tryna chill, just lit a Dutch Mastersというシガリロブランドの略称。中身を抜いてマリファナを詰め直したブラントを指す

落ち着こうとして、ダッチ(ブラント)に火を点けた

▶ Verse 3序盤、AZが仲間の死のニュースを聞いて動揺しているシーン。

行の先頭、trynatrying to(〜しようとしている)が2語まとめて1語に縮んでいる。AAVE・口語英語の音の圧縮で、スピード感と街の温度をそのまま表現する。I'm tryna〜(〜しようとしてる)という形で日常会話にも頻繁に出てくるので、一度慣れると聞き取りが格段に楽になります。そして Dutchie(ダッチ)は Dutch Masters というシガリロ(細型葉巻)ブランドの略称で、中身のタバコを抜いてマリファナを詰め直したブラントのこと。ブランドの固有名詞がそのままスラングになる転用は、ヒップホップのリリックに多い(Timbs=Timberlands、'Lo=Polo など)。仲間(Mo)が殺されたという知らせを受けた直後に、落ち着こうとして火を点ける。その行為の選択が、AZのキャラクターの側面を静かに語っている。

語法 — どう使うか ▼

tryna(= trying to)の使い方: I'm tryna leave(出ようとしてる)、He tryna say something(何か言おうとしてる)のように、主語 + tryna + 動詞原形で使う。Dutchie の背景: Musical Youth の1982年のヒット曲「Pass the Dutchie」でも同義語が使われている。ブラント(blunt)は葉巻の皮にマリファナを巻いたもので、ペーパーで巻いたジョイントとは別物。

Alone with gats, left with a vest — 武装と孤立を語る語彙

★ スラング
AZ(Verse 3) ≈3:55

Alone with 拳銃・銃器を指すスラング もう一度タップで詳細 → , left with a vest to watch my own back

銃だけを相棒に、防弾ベストを着て、一人で自分の身を守る

▶ Verse 3終盤、AZが孤立した状態での緊張を語る件。

行頭の gats(ガッツ)は拳銃・銃器を指すスラング。Gatling gun(ガトリング銃)に由来するとも言われ、90sのNYヒップホップで「銃」を指す語として広く使われていた。burner・heat・piece・iron など同義語は多いが、gats はそのハードな音感も含め、クイーンズ・ブラウンズビル周辺のMCによく出てくる語です。次の vest は防弾ベスト(bulletproof vest)のこと。行末の watch my own backは、「自分で自分の背後を守る」つまり誰も頼れない孤立した状態を表す慣用句。have someone's back(誰かの背中を守る)の否定的バリエーションとして理解するといい。銃・防弾ベスト・孤立・警戒、これだけの情報量が一行に詰まっていて、AZの置かれた状況の重さが肌に刺さってくる。

語法 — どう使うか ▼

gat(s) は銃器の口語スラング。pack a gat(銃を持ち歩く)のように使う。have [someone's] back は「誰かをサポートする・守る」という慣用表現。I got your back(守ってやる・任せろ)が一般にも広く使われる形。watch my own back(自分で自分を守る)は、その支えが誰もいない孤立を示す。

dynasty / cold war — 帝国の語彙でストリートを語る

★ 比喩/言葉遊び
Nas(Verse 4) ≈4:08

About the dynasty, s**t is not minor leagues no more
Cats bleed in this cold war

俺たちの王朝について——もうマイナーリーグじゃない/この冷戦で仲間たちは血を流している

▶ Verse 4中盤、Nasがこれまでの生き方と現在の危機を語る件。学習対象は下の行。

上は2行で、学習対象は下の行、「Cats bleed in this cold war」。cold war(冷戦)は本来、米ソ間の軍事的・政治的緊張を指す歴史用語。ここでは麻薬・縄張り・裏切りが複雑に絡み合ったストリートの抗争を「冷戦」と呼んでいる。直接対決ではなく、諜報・監視・心理戦という形。「Phone Tap」のテーマそのものと重なっているのが面白い。上の行の dynasty(王朝)と組み合わさって、Nasが自分たちの生き方を歴史的スケールの言葉で語っていることが分かる。catsは、ここでは仲間たちを指す口語(人を指す cat はビートニク文化からジャズ→ヒップホップへと継承されたスラング)。minor leagues(マイナーリーグ)という野球の比喩で「小規模な話じゃない」を表すのも、アメリカの語彙感覚が生きているところ。

語法 — どう使うか ▼

cold war を比喩で使う用法。直接的な武力衝突ではなく、水面下で行われる緊張状態・心理戦・情報戦を指す。ヒップホップでは東西コーストウォーから縄張り争い、人間関係の軋轢まで幅広く「冷戦」という語が比喩的に使われる。cats は「人々・仲間たち・あいつら」を指す口語。ジャズ文化に由来するスラングで、ヒップホップに継承された。

we FBI's Most Wanted — コピュラ省略と指名手配リストの重み

★ AAVE文法/文化
Nas(Verse 6) ≈5:18

Said there's no runnin', we FBI's Most Wanted!

逃げ場はない——俺たちはFBIのMost Wantedだ!

▶ Verse 6中盤、NasがAZに最大の警告を伝える件。曲の緊張が頂点に達する一行。

行の後半、「we FBI's Most Wanted」。標準英語なら we are FBI's Most Wanted と be動詞が入るところ、ここでは省かれている。これがAAVE(アフリカ系アメリカ人英語)のコピュラ(be動詞)省略で、現在形の is / are を落として名詞や形容詞に直結させる文法的特徴です。省略によって言葉のスピードが上がり、切迫感が増す。文法の「なさ」が表現を強くしている。FBI's Ten Most Wanted Fugitives(FBI十大指名手配犯)は1950年代から続く実在のリスト。「Phone Tap」の最後でこの一言が出てくることで、それまでの通話劇全体の重みが一気に回収される。初めて通して聴いたとき、ここで静かにやられました。

語法 — どう使うか ▼

AAVEのコピュラ省略: 現在形の is / are は省略できる。We good(俺たちは大丈夫)、He dead(奴は終わった)、They ready(あいつらは準備できている)のように、主語に直接形容詞・名詞が続く。過去形(was/were)や文末強調位置のbe動詞は省略しない。この規則性を知ると、リスニングで「動詞が無いのに文が成立している=AAVEのコピュラ省略」と即座に補完できるようになる。no runnin'(= no running)の用法。there's no + 動名詞は「〜の余地はない・〜することはできない」という決定的な否定。There's no going back(戻ることはできない)のように使う。

文化的背景

FBI監視の歴史

COINTELPROからドラッグウォーへ——監視される黒人の声

「Phone Tap」が単純なフィクションのスリラーでないのは、FBI・DEAによるブラック・コミュニティへの組織的な監視が実際に長く続いてきた歴史があるからなんです。1960〜70年代の COINTELPRO(対諜報プログラム)では、MLK・マルコムX・ブラックパンサー党の電話が組織的に盗聴されていたことが公式文書で明らかになっている。

90年代の「War on Drugs(ドラッグ戦争)」においても、DEAは大規模な電話監視を麻薬密売の追跡に用いていた。Nas・AZのようなNYのMCにとって「Fedsに電話を盗まれる」という設定は、リアルな恐怖として機能する言葉だった。

マフィオソ・ラップ

NYの第三の道——ギャングスタでもG-Funkでもない

90年代NYヒップホップには「マフィオソ・ラップ」と呼ばれる流れがあった。イタリア系マフィア映画(ScarfaceThe Godfather)の語彙と組織論をストリートに接ぎ木した世界観で、Nasの『Illmatic』→ Nas & AZの「Life's a b***h」→ The Firmへと連なるラインがその中心を担った。

Jay-Z・Big L・Big Punもそれぞれの形でこの文脈にいたが、The Firmはその中でもNY(Nas・AZ・Nature)とLA(Dr. Dre)の東西連合という稀有な形を取った。東西抗争の余波が残る1997年に、このコラボが実現したことは今でも面白い歴史的事実だと思う。

キーワード早見表

この曲で学んだスラングの整理

Feds FBI・DEA・ATFなど連邦捜査機関の捜査員を指す総称スラング。地元警察(Jakes/5-0)とは別物
trees 大麻(marijuana)の隠語。植物形状からの比喩
stee' style(やり方・美学・行動原則)の短縮形。That ain't ya stee' = それはお前らしくない
O-T out of town(地元を離れた遠征先)の短縮形
static 本来は電気的雑音。スラングで「もめ事・危険な状況」を指す
dunn son(仲間・友人)に相当するNY(クイーンズ周辺)の呼びかけスラング
gats 拳銃・銃器を指すスラング
Dutchie Dutch Mastersシガリロを使ったブラント(マリファナ巻き煙草)
cold war ストリートの抗争・水面下の緊張を「冷戦」の語で比喩する用法

サンプル・制作の裏側

サンプル元

クラリネットの哀愁 — Chris Barber's Jazz Band "Petite Fleur"(1956年録音)

「Phone Tap」の底に流れる、あの哀愁漂うクラリネットのフレーズ。その正体は、Chris Barber's Jazz Band(クリス・バーバー・ジャズバンド)が1956年に録音した "Petite Fleur"(小さな花)です。元の楽曲はシドニー・ベシェ(Sidney Bechet)作曲のジャズ・スタンダード。

Chris Barber版は1959年にシングルとして国際的にヒットした。50年代ブリティッシュ・ジャズの録音が、40年後のNYストリートの緊張劇を丸ごと包むことになるとは。これだからサンプリングはやめられない。

制作

Dr. Dre × Chris "The Glove" Taylor——東西制作連合の産物

プロデュースはDr. Dre と Chris "The Glove" Taylorの共同作業。Chris "The Glove" Taylorは80年代からDreと長く活動を共にしてきたLAのビートメイカーで、The Firm アルバム全体をDreと支えている。

NYのラッパーとLAを拠点とするプロデューサーが組むというのは、当時の東西抗争の空気を考えると決して当たり前のことではなかった。哀愁のクラリネット・サンプルにDreの低音感が乗り、さらにNas・AZ・Natureの極めてリリカルなバースが重なる。この組み合わせが「Phone Tap」をFirmアルバムの中でも別格の一曲にしています。

The Firmとそのレガシー

一枚のアルバムで終わったスーパーグループ

1997年10月21日——それだけで充分だった一枚

The Firmは「The Firm: The Album」(1997年10月21日リリース)一枚だけを残して活動を終えた。Nas・AZ・Foxy Brown・Natureはそれぞれのソロへ向かい、グループとしての続編はない。それでもこのアルバムは、マフィオソ・ラップの記念碑として今も残り続けている。

特に「Phone Tap」は、複数の話者が通話形式で物語を構築するという実験的な試みと、Dr. Dreが「捜査側の声」としてフックに立つという対立構造で、ストーリーテリングの文脈では繰り返し言及される。

Nasは言うまでもなく『Stillmatic』から『King's Disease』シリーズまで現役で傑作を重ね続けた。AZも独自のスタイルでコンシステントにアルバムを出し続け、特にNas周辺との連携を保った。The Firmはそのキャリアの一部に過ぎないかもしれないけれど、このアルバムを知っているかどうかで、Nasファンとしての深度が少し分かれる気がします。

まとめ

  • 「Phone Tap」は通話形式という実験的なナラティブ構造で、FBI監視と逃走のドラマを描く97年マフィオソ・ラップの傑作。
  • Feds・static・stee'・gats・trees・Dutchieなど、知らないと意味が取れない90s NYスラングが密集していて、語彙学習の素材として充実している。
  • AAVEの特徴(コピュラ省略・gon'の短縮・tryna・them+名詞など)が通話という日常的な設定の中に自然に現れていて、文法項目を肌感覚で学べる。
  • Chris Barber's Jazz Band(1956年録音)のクラリネットがNYの緊張劇を演出するというサンプリングの妙。Dr. Dre × Chris "The Glove" Taylor制作。

もっと深く

背景を読む

制作の裏側・時代背景・評価の詳細は、各コラムで掘り下げている。

アーティストについて

The Firm

New York City, New York · 1996–1997

Nas、AZ、Foxy Brown、Natureからなるニューヨーク出身のスーパーグループ。Dr. Dreのプロデュースのもと1997年に唯一のアルバム『The Firm: The Album』を発表。映画『スカーフェイス』を下敷きにしたキャラクター設定と東西合体というコンセプトで、マフィオソ・ラップの究極形を提示した。Death Row離脱後のDr. DreにとってもAftermath Entertainmentの存在感を証明する重要作となった。

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