WAX&THINK

Nas Is Like — Nas 和訳・スラング解説

アーティスト
Nas
リリース年
1999
プロデューサー
DJ Premier
収録アルバム
I Am...
エリア
NY
BPM
90
サンプル元
John V. Rydgren & Bob R. Way "What Child Is This?"

この記事の見どころ

  1. 01 Nas Is Likeは「Nas is like 〜」の直喩を engine にした metaphysical braggadocio
  2. 02 スラング・韻・言葉遊び・AAVEを「学ぶ表現」単位で解説(PV頭出しリンク付き)
  3. 03 DJ Premierが讃美歌の10インチを刻んで作ったフック(プリモ印のチョップ&スクラッチ)

[PR] メルカリで探す

元ネタ

解説

■この曲で何を学べるか

「Nas is like 〜(ナズって、まぁ、こんな感じ)」この一つの型を、バースの頭から終わりまで延々と変奏し続ける曲。1999年のアルバム『I Am...』13曲目に収められた、Nasの自己定義ソングです。

直喩(simile)と暗喩(metaphor)と並置(juxtaposition)だけで自分が何者かを描き切ろうとする、ある種の言語実験みたいな一曲だと思っています。プロデュースは DJ Premier(プリモ)

リリックには、辞書に載らないスラング、AAVE(アフリカ系アメリカ人英語)の文法、英語とスペイン語のコードスイッチ、そして「B.C./A.D.」みたいな二重の意味を仕込んだ言葉遊びがぎっしり。それを「学ぶ表現」単位で取り出して、用例の断片・和訳・語法と文化背景を解説していきます。

■中学英語の "A is like B" が、ここまで化ける

理由はシンプルで、「A is like B」という英語のいちばん基本的な構文が、これでもかと出てくるから。直喩は中学で習う型ですが、ネイティブのラッパーが使うとここまで化けるのか、というのを体感できます。しかも比較対象(B)に当てる固有名詞が、Earth, Wind & Fire(バンド)からIron Mike(マイク・タイソン)、'Pac(2Pac)、ギリシャとエジプトの歴史まで飛び回る。

比喩を読むことが、そのまま黒人文化の元ネタ・引用を読み解くことになるんです。

そこにスペイン語が混ざり(siete=7、pesos=金)、AAVEの所有格 they(=their)が混ざる。教科書とストリートとバイリンガルが一行のなかで同居する。リアルな英語の手触りを学ぶ素材として、これほど密度の高い曲もそうないかと思います。

ちなみにNasはこの曲の前は "Nasty Nas" を名乗っていて、その改名の話までリリックに織り込まれています。

ストーリーの流れ — まず曲全体をつかむ

この曲は物語というより、Nasという人間の「自己定義の連射」です。なので各バースが何を比喩のテーマにしているかをざっと押さえておくと、次章「学ぶ表現」で一語ずつ掘るときに迷子になりません。

Verse 1(Nas)。出だしから「自由か監獄か」「赤ん坊の誕生と男の死」を同じ呼吸で並べて、生と死が隣り合うストリートの感覚を最初に置きます。そこから自分の名の由来(Nasty Nas からの改名)、ラップで街の「経典」を書く者としての自負へと展開して、最後は N-A-S と名前を綴ってフックへ橋渡し。物語というより、自分が立っている地面の説明です。

Hookは「Nas is like... life or death」「half-man, half-amazin'」など、Nas自身の声をPremierが切り刻んでスクラッチで組み上げたもの。歌うのではなく、過去のNasの肉声をコラージュしてサビにしているのがミソです。

Verse 2は、Iron Mike(タイソン)やMessiah(救世主)を引きながら「Before the Christ, After the Death」とB.C./A.D.をひっかける言葉遊びへ。途中でスペイン語(siete zeros=七つのゼロ、pesos)が混ざって、富と死生観、つまり「金は墓まで持っていけない」というテーマが顔を出します。

Verse 3は、ほぼ全行が「I'm like 〜」の畳みかけ。street sweeper、'Pac、ギリシャとエジプト、ミリオネアの感覚……比喩を高速で積み上げて、最後に "a thug poet(ならず者の詩人)" という一語で自分を締める。街の比喩、伝説の名、古代文明、金の話。振れ幅の大きい比喩を畳みかけながら、最後は"a thug poet"の一語に収束させる。この振れ幅と収束のコントロールこそ、Nasの頭の良さだと思います。

※本ページは批評・教育目的で、解説に必要な範囲の断片のみを引用しています。全歌詞の対訳は掲載していません。

学ぶ表現 — スラング・韻・言葉遊び・AAVE

各見出しは「この曲から学べる英語表現」。多くのユニットはまず上に英語の用例(1〜2行)を置いてあります。先に英語を音で追い、行のどこが学習対象かを確かめてから下の日本語解説に進むと、英語が苦手でも置いていかれません。金や銃まわりの語彙・ブランド名を扱うユニットは、行を引かずに語の意味と背景だけで解説しています(引用を必要最小限に絞る方針のため。▶で該当箇所へ飛べます)。

Nas is like... half-man, half-amazin' — 直喩(simile)で自画像を描く

★ 構文/フック
Nas(Hook) ≈0:10

Nas is like... life or death; I'm a rebel
Nas is like... half-man, half-amazin'

ナズはこんな感じだ…生か死か、俺は反逆者/ナズはこんな感じだ…半分人間、半分驚異

▶ Verse 1とVerse 2のあいだのフック。曲全体を貫く「型」がここに出ます。

まず各行の頭にある Nas is like... に注目です。これは中学英語の A is like B(AはBのようだ)=直喩そのもの。この曲は、ほぼ全行がこの型の変奏でできています。学習ポイントは行末の half-man, half-amazin'。本来 half-man, half-(animal/beast)(半人半獣)という決まり文句があるところを、最後を amazing(驚異的)にすり替えた言葉遊びです。「半分は人間、半分は規格外」と自分を神話化しているわけです。フックはNas自身の過去の声をPremierが切り刻んで組んだもので、歌っていないのもポイント(詳細は「制作の裏側」で)。

語法 — どう使うか ▼

A is like B は直喩の基本形。like の後ろに名詞を置いて「Aは(まるで)Bのようだ」と例える。as を使う A is as 形容詞 as B と並ぶ、英語の比喩の二大基本構文。この曲の Verse 3 は I'm like 〜 をひたすら連射して自画像を作ります。直喩のリスニング訓練に最適です。

定型句の語尾だけを差し替えて新しい意味を作るのは、ヒップホップの常套手段です。half-man, half-amazin' のように「既存のフレーズ+裏切り」を覚えると、パンチラインの構造が見えてきます。

A baby's bein' born, same time a man is murdered — 並置(juxtaposition)で世界観を一行に

★ 表現技法
Nas(Verse 1) ≈0:16

Freedom or jail, clips inserted
A baby's bein' born, same time a man is murdered

自由か監獄か、弾倉は装填済み/赤ん坊が生まれる、同じ瞬間に男が殺される

▶ Verse 1のいちばん最初、曲の口火を切る2行。学習対象は下の行。

注目は下の行、「A baby's bein' born, same time a man is murdered」。誕生と殺人という正反対の出来事を same time(同じ瞬間に)で並べる。これが juxtaposition(並置)という技法です。説明をいっさい足さず、二つの像をぶつけるだけで「生と死が隣り合う街」の温度が出ます。上の行の clips inserted(弾倉を装填した)も、銃が日常にある世界をさらりと差し込んでいます。冒頭2行だけで、これから語られる世界の気圧が決まってしまう。詩の技法としての並置を、生きた用例で確認できる場所です。

As far as rap go... what defines my name — 自己定義のエンジンと as far as ~ go

★ 構文/テーマ
Nas(Verse 1) ≈0:20

As far as rap go, it's only natural, I explain
My plateau, and also what defines my name

ラップに関して言えば、自然なことだ、俺は説明する/自分の到達点を、そして俺の名を定義するものを

▶ Verse 1序盤、これから何を語るかを宣言する件。

行頭の As far as rap go がまず学習ポイント。as far as 〜 go(es) は「〜に関して言えば」と話題を限定する定番構文で、ここでは三単現の s が落ちて go(AAVEの特徴)になっています。続く plateau(プラトー=到達した高み)と what defines my name(俺の名を定義するもの)で、この曲が「自分は何者か」を説明する一曲だと最初に宣言しています。曲名 "Nas Is Like" の自己定義というテーマが、ここで地面に置かれます。

語法 — どう使うか ▼

as far as X go(es) は「Xについて言えば・Xに関する限り」と範囲を絞る頻出表現。As far as I know(私の知る限り)も同じ型。標準英語なら goes だが、AAVEや口語では三単現の s が落ちて go になることがある。

First it was Nasty, but times have changed — MCの改名とアイデンティティ

★ スラング/文化
Nas(Verse 1) ≈0:24

First it was Nasty, but times have changed
Ask me now, I'm the artist, but hardcore

最初は"ナスティ"だった、だが時代は変わった/今訊いてみろ、俺はアーティストだ、だがハードコアなままだ

▶ Verse 1中盤、自分の名前の由来を語る件。

上の行の Nasty は、Nasの初期の名義 "Nasty Nas" のこと。デビュー前の彼はこう呼ばれていました。First it was Nasty, but times have changed(最初はナスティだった、でも時代は変わった)は、ティーンの荒っぽいMCから一人の「アーティスト」へ成熟した自己認識の宣言。でも次の行で but hardcore と付け足して、洗練はしても牙は抜いていない、と釘を刺すのが彼らしい。ヒップホップでは MC名そのものが物語を背負う。名前の変遷を辿ると、その人のキャリア観が見えてくる好例です。times have changed(時代は変わった)は日常会話でもそのまま使える定番フレーズです。

time in the game — 「ゲーム=この稼業」と -ame で畳む韻

★ スラング/韻
Nas(Verse 1) ≈0:28

▶ Verse 1中盤、改名の話のすぐ後に続く件。ここは行を引かず、語だけ取り出します。

この件でNasは、自分が時間を費やしてきた場所を the game と呼びます。学習ポイントはこの一語。ボードゲームの話ではなく、ラップ稼業、あるいはストリートの経済そのものを指す定番スラングです。in the game で「この世界に身を置いて」。日本語の「業界」にかなり近い温度で使われます。

もう一つ、この辺りは行末の母音がずっと揃っています。pain、game、fame、cocaine、sane、aim。-ain / -ame の同じ響きで数行まるごと畳んでいく区間なので、意味を追う前に音だけ追ってもらうと、韻が段落の接着剤になっているのが分かります。

語法 — どう使うか ▼

the game は「rap game」「dope game」のように業界名と組んで「〜稼業」を表します。in the game(現役で)、out the game(足を洗って)まで含めて頻出。文脈が無くても the game 単体で「この稼業」と通じるのがポイントです。

Saw fiends shoot up... am I sane? — fiend(ヤク中)と反復のSaw...

★ スラング/時代背景
Nas(Verse 1) ≈0:32

Saw fiends shoot up and do lines of cocaine
Saw my close friends shot, flatline, am I sane?

ヤク中が注射し、コカインのラインを吸うのを見た/親しい友が撃たれ、心電図が止まるのを見た、俺は正気か?

▶ Verse 1中盤、育った環境を畳みかける件。

学習対象は fiend と、二行を貫く Saw... Saw... の反復。fiend(フィーンド)は本来「悪魔・鬼」ですが、ストリートでは 麻薬中毒者(ヤク中)を指すスラング。dope fiend の形でも使う。1980〜90年代のクラック・コカイン蔓延期のニューヨークが、そのまま背景になっています。同じ動詞 Saw を行頭で繰り返す anaphora(首句反復)で、目撃の連続を積み上げ、行末の flatline(心電図が平坦になる=死)と am I sane?(俺は正気か)で締める。誇張ではなく見てきた記録としてのリアルが、この淡々とした反復に出ています。

語法 — どう使うか ▼

fiend は名詞で「中毒者」、動詞 fiend (for) で「〜を異常に欲しがる」。dope fiend / crack fiend のように薬物名と結びつく。比喩的に fiend for attention(注目に飢える)のようにも使える。

squeeze — 引き金を「絞る」、の一語で撃つ

★ スラング
Nas(Verse 1) ≈0:39

▶ fiendの件の直後、屋上での射撃描写。語彙ものなので行は引きません。

ここで描かれるのは、屋上で射撃の腕を磨く光景です。木にライバルMCのCDジャケットをテープで貼り、その写真に銃身の照準を合わせる。そして行末に置かれる動詞が squeeze です。

squeeze は本来「握る・絞る」。squeeze the trigger(引き金を絞る)の trigger を省いて、一語で「撃つ」を意味するようになった隠語です。的が的紙ではなく気に入らないMCのジャケ写、しかもそれを weak(弱い)と呼び捨てる。物騒ですが、実弾で相手を消す話ではなく「お前のラップを標的にする」というMCバトルの誇張表現の系譜です。

語法 — どう使うか ▼

squeeze は日常英語では「絞る・ぎゅっと握る」(squeeze a lemon)。ストリート文脈で目的語なしに置かれたら「発砲する」を疑うと聞き取りが速くなります。同じ件には MAC-10(マックテン)という短機関銃の名前も出てきて、銃器の固有名詞がそのまま日常語彙になっている世界が見えます。

street scriptures — 街の「経典」を書くという自負

★ 比喩/テーマ
Nas(Verse 1) ≈0:44

▶ Verse 1中盤、自分のラップが誰のためのものかを名指しする件。

この件でNasは、自分のラップを street scriptures(街の経典)と呼びます。scripture は聖書のような「聖典」を指すかたい単語。それを street と組み合わせた瞬間、ラップが「路上で生きる者のための聖書」になります。ストーリー欄で触れた「街の経典を書く者としての自負」の出どころは、ここです。

誰に向けた経典かも行の中で名指しされています。crossroads(岐路)に立つ lost souls(迷える魂)、車のために hustle(手段を選ばず稼ぐ)する corner 街角で生きる荒くれ者たち。この曲では経典を届ける相手として名指しされ、終盤の自己定義 thug poet への伏線にもなる もう一度タップで詳細 → 。ここに出てくる dough は「パン生地」ではなく金のスラングです。読者を選んで書く、という宣言まで含めて、聖典の比喩が一貫しています。

around they neck — AAVEの所有格 they(=their)

★ AAVE文法
Nas(Verse 1) ≈0:58

It's what you make it, suicide, few try to take it
Belt tied around they neck in jail cells naked

人生は自分次第、自殺、それを選ぶ者は少ない/ベルトを首に巻きつけ、監房で裸のまま

▶ Verse 1後半、収監された者の絶望を描く件。学習対象は下の行。

下の行、「Belt tied around they neck」の they に注目。標準英語ならtheir neck(彼らの首)と表現します。ところがAAVE(アフリカ系アメリカ人英語)では、所有格の their を they で言うことがよくあります。これは崩れた英語ではなく、AAVEに体系的に存在する規則的な特徴です。この曲ではVerse 3にも deep from they teachers(師=their teachersから)ともう一度出てきます。一度「they=their」と頭に入れておくと、リスニングで詰まらなくなります。

語法 — どう使うか ▼

AAVEでは they を所有格 their の意味で使う。they neck(=their neck)they teachers(=their teachers) のように、名詞の前に置いて「彼らの〜」を表す。発音上 their と they が近いことから定着した特徴で、ラップの歌詞には頻出。

聞き取りのコツ: 「they + 名詞」の並びが来たら、まず所有格(their)を疑う。主語の they(彼らは)なら直後に動詞が来るので、後ろが名詞か動詞かで一瞬で見分けられる。

N-A-S are the letters that spell... — 名前を綴ってフックへ橋渡し

★ 構成(フック前)
Nas(Verse 1) ≈1:02

Heaven and Hell, rap legend, presence is felt
And of course, N-A-S are the letters that spell...

天国と地獄、ラップの伝説、存在感は感じられる/そしてもちろん、N-A-S が綴る文字は…

▶ Verse 1の最後、そのままコーラスへ雪崩れ込む件。

これはVerse 1を締めて フックへ橋渡しする仕掛けの行。Heaven and Hell(天国と地獄)の対比、presence is felt(存在感が感じられる=受動態の定番形)で自分の重みを置いてから、N-A-S と一文字ずつ名前を綴り、文を途中で切る。その続き("spell...")が、そのままコーラスの Nas is like... に受け渡される構成です。名前そのものを曲の構造に編み込んでいます。of course(もちろん)の軽い口語の挟み方も効いていて、全体が重くなりすぎずに済んでいます。

My poetry's deep, I never fell — fall off(落ち目になる)の否定

★ スラング/フック
Nas(Hook) ≈1:13

My poetry's deep, I never fell

俺の詩は深い、俺は一度も落ちていない

▶ フックの2行目。「Nas is like...」の合間に差し込まれる自己弁護の一行。

学習ポイントは行末の fell。fall(落ちる)の過去形ですが、ここで転んだ話をしているわけではありません。背負っているのは fall off(落ち目になる・第一線から転落する)という、ラッパーの評価を語るうえで欠かせないスラングです。

『Illmatic』が完璧すぎたせいで、Nasには「次で落ちるのでは」という視線がずっと付きまとっていました(詳しくは文化的背景の章で)。だからこの I never fell は、ただの自慢ではなく経歴への反論なんです。自分のラップを poetry(詩)と呼ぶ選択も、終盤の thug poet の自己定義まで一直線につながっています。

語法 — どう使うか ▼

fall off は「(人気・実力が)落ちる」。He fell off(あいつは落ち目だ)はラップ談義の決まり文句で、反対の動きが blow up(ブレイクする)。キャリアの上げ下げはこの2つの句動詞で語られます。

Earth, Wind & Fire, rims and tires — バンド名の引用と多重韻

★ 韻/言葉遊び
Nas(Verse 2) ≈1:32

Earth, Wind & Fire, rims and tires
Bulletproof glass, inside is the realest driver

アース・ウィンド・アンド・ファイアー、リムとタイヤ/防弾ガラス、中にいるのは最もリアルなドライバー

▶ Verse 2の冒頭、比喩の連射が始まる件。まず音で。

まず音だけで回すと分かりやすいところです。Fire / tires / driver-ire / -ier 系の母音が3連続で返ってきます。これが今回の聴きどころ。そのうえ行頭の Earth, Wind & Fire は、伝説のソウル/ファンクバンドの名前をそのまま借りた引用です。バンド名を一語の比喩素材として放り込みながら、即座に rims and tires(リムとタイヤ=高級車)へ韻で滑り込む。固有名詞、韻、イメージの流れが一行で完結しています。比喩・引用・脚韻を一行で同時に走らせる作りなので、まず音だけで何度か回してから意味を当てにいくと、構造がよく見えてきます。

line 'em up with the stars / the pharaoh Nas — 宇宙とエジプトのイメージ

★ 言葉遊び/引用
Nas(Verse 2) ≈1:37

Tarot cards, you can see the pharaoh Nas

タロットカード、そこに見えるのはファラオ・ナズ

▶ Verse 2序盤、宇宙と神秘のイメージを連ねる件。学習対象は下の行末。

Planets in orbit(軌道上の惑星)、stars(星)、Tarot cards(タロット)と神秘・宇宙のイメージを並べてから、行末で the pharaoh Nas(ファラオ・ナズ)と落とす。pharaoh(古代エジプトの王)に自分を重ねる、アフロセントリック(アフリカ中心主義)な自己神話化です。音でも stars / Nas が近い母音で返って韻になっている。後半ユニットの Greeks in Egypt と同じく、エジプト=知と王権の源泉というモチーフが、Nasのリリックには繰り返し出てきます。

★ 聴きどころ

Before the Christ, After the Death — B.C./A.D.の二重の意味

Nas(Verse 2) ≈1:39

Iron Mike, Messiah type
Before the Christ, After the Death, the last one left

アイアン・マイク、救世主タイプ/キリスト以前、死の後、最後に残る一人

▶ Verse 2前半、自分を歴史的なスケールで定義する件。学習対象は下の行。

下の行が、この曲いちばんの仕掛けです。「Before the Christ, After the Death」。これは西暦の B.C.(Before Christ=紀元前)と、暗に A.D. を「After the Death」と読み替えた言葉遊びです。本来 A.D. はラテン語 Anno Domini(主の年)ですが、英語話者がしばしば誤解する "After Death" を逆手に取って、キリストの前後=歴史そのものに自分を重ねています。上の行の Iron Mike はMike Tyson(マイク・タイソン)、Messiah は救世主。たった2行で、ボクシングの伝説と宗教的スケールに自分を並べてしまう。気づくとナズすごっとなる一節。

from Seiko to Rolex — モノで語る come-up(成り上がり)

★ スラング/文化
Nas(Verse 2) ≈1:47

Came a long way from blastin' TECs on blocks
Went from Seiko to Rolex, ownin' acres

ブロックでTECをぶっ放してた頃から、長い道のりを来た/セイコーからロレックスへ、土地まで手にした

▶ Verse 2中盤、過去から現在への距離を語る件。

下の行、「Went from Seiko to Rolex」が学習ポイント。安価な腕時計セイコーから高級時計ロレックスへ、という モノの格上げで成り上がり(come-up)を語るのはヒップホップの定番表現です。ブランド名そのものが「貧しかった過去」と「成功した現在」の記号になります。上の行の Came a long way from 〜(〜から長い道のりを来た)は、自分の歩みを振り返るときの超定番フレーズで、日常会話でも使えます。 TEC-9。当時ストリートで多用された安価なセミオート拳銃 もう一度タップで詳細 → (TEC-9という拳銃)や blocks(街区)といったストリート語彙と、ブランド名の対比が効いています。

語法 — どう使うか ▼

come a long way は「(人・物事が)大きく進歩した・遠くまで来た」を表すイディオム。I've come a long way(自分は成長した)のように現在完了で使うのが定番。ラップでは過去の貧困から現在の成功までの距離を示す決め台詞として多用される。

go from A to B(AからBへ移る)は変化を語る基本構文。ここでは安物→高級ブランドの対比で「成り上がり」を一行に圧縮しています。

no chips → large cake — 金を「食べもの」で言うスラング群

★ スラング(金)
Nas(Verse 2) ≈1:50

▶ セイコーからロレックスへ、のすぐ次の行。金の語彙ものなので行は引きません。

成り上がりの話がもう一行続きます。ここで出てくるのが お金・現金。この曲では「projects(団地)暮らしで chips が無かった頃」という形で、無一文の過去を指す もう一度タップで詳細 → (チップ=現金)と cake(ケーキ=大金)。projects(公営団地)で chips が無かった頃から、large cake を手にする側になった、という一行です。

英語のスラングは金を食べものに言い換えるのが大好きで、dough(パン生地)、bread(パン)、cheddar(チーズ)あたりが定番。この曲だけでも dough と chips と cake が出てきます。ちなみに projects はアメリカの低所得者向け公営住宅のことで、Nasの場合はクイーンズブリッジ団地。地名まで置き換えて読むと、セイコーからロレックスまでの距離がぐっと具体的になります。

siete zeros / pesos — 英語にスペイン語を差し込むコードスイッチ

★ スラング/バイリンガル
Nas(Verse 2) ≈1:53

Let my cash invest in stock
...siete zeros, bet my nine spit for the pesos

俺の金は株に投資させる/…七つのゼロ、金のためなら俺の9ミリが火を噴く

▶ Verse 2中盤、富と暴力を畳みかける件。学習対象はスペイン語が混ざる2語。

注目は siete zerospesos。どちらもスペイン語で、siete=7(つまり「ゼロが7つ=数百万ドル」)、pesos=お金。英語のラインに自然にスペイン語を差し込む コードスイッチングは、ラティーノ人口の多いニューヨークのストリート英語ではごく普通の現象です。さらに同じ件には 9mm拳銃(nine millimeter)のスラング (9mm拳銃)も出てくる。一行のなかで英語・スペイン語・隠語が三層に重なる、密度の高い箇所です。

語法 — どう使うか ▼

数字や金の単位をスペイン語にする コードスイッチは、NYヒップホップの常套句。dinero(金)、pesos(金)、siete / ocho(7/8)などは英語ラップに頻出するので、基本のスペイン語数詞と金関連語を押さえると聞き取りが一気に楽になる。

ninenine millimeter(9mm拳銃)の略。数字がそのまま物騒なスラングの核になります。英語ラップではよくあるパターンです。

Can't take it with you under this Earth — 「あの世に金は持っていけない」

★ イディオム/テーマ
Nas(Verse 2) ≈1:56

But what's it all worth? Can't take it with you under this Earth

でも全部、何の価値がある? この地の下へは持っていけない

▶ Verse 2後半、富を並べた直後に価値観を反転させる件。

学習対象は Can't take it with you。これは 「死んだら金(財産)はあの世に持っていけない」という英語の定番イディオムです(主語の You が省略されている)。直前まで siete zeros(数百万)や Rolex と物質的な成功を畳みかけていた流れを、ここで一気に裏返す。Rich men died and tried, but none of it worked(金持ちは死に、あがいたが何も効かなかった)と続けて、富の虚しさ=この曲の死生観を差し込む。並べてきたものを自分で否定してみせる構成が効いています。

語法 — どう使うか ▼

You can't take it with you は「(あの世へ)金は持っていけない=生きているうちに使え/金がすべてじゃない」を表す決まり文句。同名の戯曲・映画もある有名な慣用句で、日常会話でもそのまま使える。

before my number's called — 「番号を呼ばれる」=死の婉曲表現

★ イディオム
Nas(Verse 2) ≈2:00

▶ 「あの世に金は持っていけない」の少し後。慣用句ものなので語だけ取り出します。

この件にはっきり出てくるのが before my number's called という言い回しです。one's number is called / one's number is up は、順番待ちで番号を呼ばれるイメージを死に重ねた「死ぬ」の婉曲表現(遠回しな言い方)。「お迎えが来る前に、歴史は作っておく」という宣言になります。

直前には、死んだ金持ちは結局墓を暴かれるだけだ、なら生きて稼いでいる方がいい、という身も蓋もない現実主義も置かれていて、Verse 2の後半はこの「富と死」の往復で進みます。die と言わずに死を語る言い方は英語に山ほどあって、pass away(亡くなる)が丁寧側なら、number's up はくだけた側。セットで覚えておくと便利です。

Much success to you... who the prophet is — 余裕の宣戦と prophet

★ 表現/自己定義
Nas(Verse 2) ≈2:15

Much success to you, even if you wish me the opposite
Sooner or later, we'll all see who the prophet is

お前の成功を願うよ、たとえお前が俺に逆を願っても/遅かれ早かれ、誰が預言者かは皆に分かる

▶ Verse 2の締め。敵に余裕を見せて終わる件。

Much success to you, even if you wish me the opposite=「お前が俺の不幸を願っても、俺はお前の成功を願う」。敵意に余裕で応じる大人の構え。そして we'll all see who the prophet is(誰が預言者か、いずれ分かる)で自分を prophet(預言者・本物)の側に置く。opposite / prophet の脚韻で2行を締めているのも仕事が細かい。sooner or later(遅かれ早かれ)は会話でも使える定番フレーズです。

beef / bustin' heat — 「揉め事」と「火を噴く銃」

★ スラング(最頻出級)
Nas(Verse 3) ≈2:49

▶ Verse 3の頭、「俺は甘くない」と切り出す件。語彙ものなので語だけ取り出します。

Verse 3の入りに、ヒップホップの最重要スラングが二つ並びます。beefheat。beef は牛肉ではなく「揉め事・因縁・抗争」。日本語のヒップホップ記事でも「ビーフ」とカタカナのまま使われる語です。

heat はを指す隠語。bust(ぶっ放す)と組んで bustin' heat=撃ちまくる、になります。窓を撃ち抜いてくる beef そのもののような男だ、という自己定義で、Verse 3の「I'm like 〜」連射はこの物騒な直喩から幕を開けます。

語法 — どう使うか ▼

beef は have beef with 〜(〜と揉めている)、squash beef(手打ちにする)の形が必修コンボ。heat は carry heat(銃を持ち歩く)でも使われ、pack heat と言えば同じ意味。どちらも90年代NYに限らず、現行のラップでも生きている語彙です。

I'm like a street sweeper, green leaf breather — 二重の意味と内部韻

★ 言葉遊び/スラング
Nas(Verse 3) ≈2:55

I'm like a street sweeper, green leaf breather
Like Greeks in Egypt, learnin' somethin' deep from they teachers

俺は街の掃除屋(ストリート・スウィーパー)、緑の葉を吸う者/エジプトのギリシャ人のように、師から深い何かを学ぶ

▶ Verse 3、「I'm like 〜」が連射される件。学習対象は上の行。

上の行に二つの仕掛けがあります。street sweeper は文字どおり「道路清掃車/街の掃除屋」ですが、同時に "Streetsweeper" という散弾銃の隠語でもある二重の意味。「ライバルを一掃する」という攻撃性と「掃除する」が重なる。続く green leaf breather は「緑の葉を吸う者」=マリファナの暗喩。そして音に注目すると sweeper / breather / teacher-eer/-er の内部韻が連続しています。下の行は次のユニットで扱いますが、この2行は「I'm like 〜」の直喩を韻でつないでいく、Verse 3の作りの見本です。

Like Greeks in Egypt — 比喩に歴史の引用(allusion)を畳む

★ 比喩/引用
Nas(Verse 3) ≈2:58

Like Greeks in Egypt, learnin' somethin' deep from they teachers

エジプトのギリシャ人のように、師から深い何かを学ぶ

▶ Verse 3、直喩の連射のなかの一行。歴史の引用が入る。

「Like Greeks in Egypt, learnin' somethin' deep from they teachers」。これは 古代ギリシャの学者がエジプトで学んだという歴史観への allusion(引用・ほのめかし)です。「西洋文明の源はアフリカ(エジプト)にある」というアフロセントリックな知の系譜を、たった一語の比喩に畳み込んでいます。Nasのリリックは、こういう「知識(knowledge)を重んじる」姿勢がよく出ます。行末の they teachers は、ユニット④で見た AAVEの所有格 they(=their)がここでも再登場している箇所。deep(深い)も「深遠な知」を指す含みで、単なる形容詞以上に効いています。比喩の中に歴史と思想を仕込む。読み解く楽しさがいちばん出る一行です。

I'm like 'Pac, dude you would cry for — 2Pacの引用と die for / cry for

★ 引用/韻
Nas(Verse 3) ≈3:00

I'm like crime, like your .9, your man you would die for
Always got you, I'm like 'Pac, dude you would cry for

俺は犯罪のようだ、お前の9ミリのようだ、お前が命を懸ける相棒のようだ/いつもお前の味方、俺は'Pacのようだ、お前が涙する男

▶ Verse 3、「I'm like 〜」連射の一節。学習対象は下の行。

Verse 3は I'm like 〜 の直喩を高速で積む作り。ここでは 'Pac(=2Pac / Tupac Shakur)を引いています。1996年に銃撃で世を去った2Pacは、リスナーが感情移入し涙する象徴的存在。your man you would die forI'm like 'Pac, dude you would cry for で、die for / cry for の脚韻を踏みながら、「命を懸ける相棒」から「涙する存在」へと意味をずらしていく。上の行の .9 は前にも出た nine(9mm拳銃)。同時代を生きたもう一人の巨人の名前を、比喩素材として一語で置けるのがNasの強みです。

a whole lot of loot / crisp money — 現ナマの手触りまで直喩にする

★ スラング(金)
Nas(Verse 3) ≈3:05

▶ 'Pacの件のすぐ後。比喩の連射が今度は金に向かう件。語彙ものなので語だけ。

loot は辞書では「戦利品・略奪品」。そこから転じて、ストリートでは現金そのものを指します。a whole lot of loot で「どっさりの現ナマ」。ゲームで手に入る「ルート(戦利品)」と同じ単語なので、ゲーマーには案外なじみのある語かもしれません。

続けて出てくる crisp(パリッとした)が効いていて、「俺は湿った小銭じゃなく、刷りたてのパリパリの札みたいな男だ」というわけです。さらに corporate accounts(大企業の法人口座)まで比喩に持ち出して、ストリートの現金から企業のカネへとスケールを一段上げる。金の語彙だけで格の違いを3段階に描き分けている区間です。

all races combined in one man / the '99 Summer Jam — 固有名詞の引用

★ 引用/文化
Nas(Verse 3) ≈3:13

I'm like ecstasy for ladies; I'm like all races combined in one man
Like the '99 Summer Jam

俺は女たちにとってのエクスタシー、あらゆる人種が一人に集約された男のようだ/'99年のサマー・ジャムのようだ

▶ Verse 3後半、比喩のスケールを一気に上げる件。学習対象は固有名詞。

all races combined in one man(あらゆる人種が一人に集約された)で普遍性を主張してから、the '99 Summer Jam を引く。Summer Jam は、ニューヨークのヒップホップ・ラジオ局 Hot 97 が毎夏開く巨大コンサートで、当時アメリカ最大級のヒップホップの祭典。その1999年版に自分をなぞらえることで「俺はそれ級のイベントだ」と言っています。固有名詞そのものを比喩の物差しにする。直喩エンジンの応用編で、元ネタ(ここでは当時のヒップホップ文化のスケール感)を知っているほど一行の効きが分かる箇所です。

locked down / none of 'em fam — 収監の語彙と「ファム」

★ スラング/AAVE
Nas(Verse 3) ≈3:17

▶ サマー・ジャムの直後、防弾ハマーの一行を挟んで比喩が暗転する件。

防弾仕様の この曲では防弾ガラス仕様のHummerに自分を例える。90年代に成功の象徴だった軍用由来のSUV もう一度タップで詳細 → で見栄を張った次の瞬間、比喩は独房に飛びます。locked down収監されている。lock down(施錠して閉じ込める)の受け身のイメージがそのまま隠語になった形です。

そこに続くのが「見知らぬ顔ばかり、誰ひとり fam じゃない」という一節。fam は family の短縮で、血縁に限らず「家族同然の仲間」を指す超頻出スラング。'em は them の口語形です。富と名声の直喩を積み上げた直後に、独房の孤独まで同じ「I'm like」の型に載せてしまう。この明暗の落差も、直喩エンジンの使い方のひとつです。

語法 — どう使うか ▼

fam は呼びかけにも使えます(What's good, fam?)。locked down は「収監中」のほか、恋愛で「(相手に)縛られている」の意味でも使われる多義語。文脈で使い分けを判断します。

a thug poet — 撞着語法(oxymoron)で自分を定義する

★ 表現技法/テーマ
Nas(Verse 3) ≈3:32

I'm a poor man's dream, a thug poet
Live it and I write down, and I watch it blow up

俺は貧しき者の夢、ならず者の詩人(サグ・ポエット)/それを生き、書き留め、爆発するのを見届ける

▶ Verse 3の締めに近い件。曲全体の自己定義がここに落ちる。

上の行末、a thug poet(ならず者の詩人)が、この曲の自己定義がいちばんはっきり出る一語です。thug(暴漢・ならず者)poet(詩人)、本来は相容れない二語をくっつける oxymoron(撞着語法)で、ストリートの荒っぽさと言葉の繊細さを同時に背負う自分を一語に込めています。直前の a poor man's dream(貧しき者の夢)も効いていて、自分が出てきた場所を忘れていない。下の行 watch it blow upblow up は「爆発的に成功する/大ヒットする」という句動詞。比喩を延々と積み上げてきた曲が、最後に矛盾語ひとつで自分を言い切る。締め方まで含めて教材的な一曲だと思います。

語法 — どう使うか ▼

oxymoron(撞着語法)は、矛盾する語を意図的に並べて新しい意味を生む技法。thug poet(ならず者の詩人)、bittersweet(ほろ苦い)、living dead(生ける屍)などが典型。対立する二語をぶつけることで、単独では言えない複雑な自己像を一語で立ち上げる。

blow up は句動詞で「爆発する」のほか「(人・作品が)一気に有名になる・バズる」の意。The song blew up(その曲は大ヒットした)のように使う、現代英語の超頻出表現。

play it in your system — system=カーステレオ、で幕を引く

★ スラング/構成
Nas(Verse 3) ≈3:37

▶ バースの本当に最後の一行。ここで初めて語りの矛先がリスナーに向きます。

thug poet と言い切った直後、Nasは「お前らは俺がどんな男か知ってるはずだ、毎晩 system でかけてるんだから」とこちらへ向き直ります。学習ポイントは system。ここでは制度や行政のシステムではなく、カーオーディオ(sound system)のこと。車の重低音でラップを鳴らす文化をそのまま背負った一語です。

文頭の y'all(you all の縮約=お前ら全員)は南部発で、いまや全米区の定番口語。3分半かけて「Nasは〜のようだ」と積み上げてきた直喩の答え合わせを、最後は「もう毎晩聴いてるだろ」と聴き手に投げて終わります。比喩ではなく聴き手の生活で締める。この曲でここだけの閉じ方です。

語法 — どう使うか ▼

y'all は複数の相手への呼びかけの定番で、単数の you と区別できる便利な語。system が音響機材を指すのはレゲエの sound system 文化とも地続きで、bang it in your system(爆音でかけろ)のような形で頻出します。

文化的背景

Nasty Nas から Nas へ

『Illmatic』の神童が背負った重圧

Nasはニューヨーク・クイーンズのクイーンズブリッジ団地出身。10代から "Nasty Nas" として頭角を現し、1994年のデビュー作『Illmatic』は「史上最高のヒップホップ・アルバム」として必ず名前が挙がる一枚になりました。

あまりに完璧なデビューだったせいで、その後の作品は常に『Illmatic』と比べられる。そういう宿命を背負うことになります。

「Nas Is Like」は3rdアルバム『I Am...』(1999年)の曲で、プロデューサーに『Illmatic』の盟友 DJ Premier を再び迎え、原点回帰の象徴として受け止められました。「First it was Nasty, but times have changed」という一行には、この改名と成熟の物語がそのまま入っています。

キーワード早見表

この曲で学んだ表現の整理

A is like B 直喩(simile)。この曲のエンジン。Verse 3は「I'm like 〜」の連射
half-man, half-amazin' 定型句 half-man, half-(beast) の語尾を amazing にすり替えた言葉遊び
they(=their) AAVEの所有格。they neck/they teachers=their neck/their teachers
Before the Christ, After the Death B.C./A.D.("After Death"の俗解)を踏んだ言葉遊び
siete zeros / pesos スペイン語のコードスイッチ。siete=7、pesos=金
from Seiko to Rolex モノの格上げで成り上がり(come-up)を語る定番表現
as far as ~ go(es) 「〜に関して言えば」と話題を限定する構文。AAVEで三単現のsが落ちgoに
fiend 麻薬中毒者(ヤク中)のスラング。dope fiendの形でも。動詞で「異常に欲しがる」
the game ラップ稼業・ストリートの経済。in the game=この世界に身を置いて
squeeze 引き金を絞る=撃つ。squeeze the triggerのtriggerを省いた隠語
fall off(I never fell) 落ち目になる・第一線から転落する。フックはその否定
can't take it with you 「死んだら金はあの世に持っていけない」の定番イディオム
my number's called 番号を呼ばれる=死ぬ、の婉曲表現。number is upとも
loot / chips / cake / dough 全部「金」。戦利品や食べものへの言い換えが定番
beef / heat beef=揉め事・抗争、heat=銃。bustin' heatで「ぶっ放す」
fam familyの短縮。血縁に限らない「家族同然の仲間」。呼びかけにも
system カーオーディオ(sound system)。車の重低音で聴く文化を背負う語
Summer Jam Hot 97(NYのヒップホップ局)が毎夏開く最大級のコンサート。固有名詞を比喩の物差しに
thug poet ならず者+詩人の撞着語法(oxymoron)による自己定義

サンプル・制作の裏側

サンプル元

捨てかけた讃美歌レコード — "What Child Is This?"

このトラックの不思議な浮遊感の正体は、John V. Rydgren と Bob R. Way による1966年の宗教音楽「What Child Is This?」。ルター派教会が出した10インチのレコード(ピンク色で、黒い魚=キリスト教のシンボルが描かれていた盤)からのサンプリングです。

DJ Premier はこの盤をあやうく捨てかけたものの、念のためターンテーブルに乗せたところで、この音を見つけたと語っています。彼はそれを 3つのパートに刻み、すでに組んでいたドラムに合わせて手でスクラッチして乗せた。

危うくゴミ箱行きだった一枚が、名曲のフックの芯になっています。掘る嗅覚と、指先のスクラッチひとつ。プリモのビートは、結局そこに尽きるんだと思います。

フックの作り方

Nas自身の声を切り刻んで組んだサビ

このフックの最大の特徴は、Nasが新しく歌っていないこと。サビを構成する肉声は、Premierが Nasの過去曲「It Ain't Hard to Tell」(1994)と「Street Dreams」(1996)から声を切り出し、スクラッチでコラージュしたもの。

声そのものを楽器のように刻んで新しくビートを組むのは、CHOP&FLIPという手法で、プリモの十八番です。だからこのフックは、聴くたびに「Nasという声の断片で作られたNas論」になっています。

素材がNas、語るのもNas。技法と中身が同じ一点で噛み合っているのが、この曲を一度聴くと忘れられない理由のひとつだと思っています。

評価とその後の影響

指標
記録
意義
US Billboard Hot 100
最高86位
内省的でハードコアな曲調ながら、メインストリームのチャートにも到達
US Hot Rap Songs
最高3位
ラップ・リスナーからの支持。『I Am...』の代表曲のひとつに
アルバム
『I Am...』(1999)13曲目
『Illmatic』の盟友DJ Premierを再起用。アルバムの先行1stシングル
セルフサンプル
「Define My Name」(2024)
25年後にNas×Premierが再タッグ。この曲自体を素材に新曲を組んだ

後世への影響

25年越しのセルフサンプリング

「Nas Is Like」は、NasとDJ Premierという組み合わせが『Illmatic』以降も健在だと示した一曲として、ファンに長く愛されてきました。

面白いのはその後日談で、2024年にNasとPremierが再タッグを組んだ「Define My Name」で、この「Nas Is Like」自体がサンプリングされている(WhoSampledで確認できます)。25年の時を越えて、自分たちの曲を素材に新曲を作る。円環をそのまま閉じにいくやり方が、いかにもプリモらしい。

直喩だけで自画像を描き切るこの実験は、いま聴いてもリスナーとMC双方にとっての教材であり続けていると思います。

まとめ

  • 「Nas Is Like」は A is like B の直喩(simile)を engine にした自己定義ソング。Verse 3の「I'm like 〜」連射は直喩リスニングの最高の練習素材。
  • 「Before the Christ, After the Death」のB.C./A.D.遊び、「half-man, half-amazin'」の定型崩し、「thug poet」の撞着語法。言葉遊びの技法がひと通り学べます。
  • 所有格の they(=their)というAAVE文法、siete zeros / pesos のスペイン語コードスイッチなど、辞書英語の外側にある生きた表現が同居している。
  • フックはNas自身の声をDJ Premierが刻んで組んだコラージュ。讃美歌の捨てかけレコードから生まれたトラックともども、制約と偶然を作品に変えるヒップホップの体温が出ている。

もっと深く

背景を読む

制作の裏側・時代背景・評価の詳細は、各コラムで掘り下げている。

アーティストについて

Nas

Queensbridge, New York · 1991–

クイーンズブリッジ出身のNasir Jones。1994年「Illmatic」でデビューし、歌詞の密度と詩的表現力でヒップホップ文学の地平を開いた。

この曲とつながる記事

[PR] この曲の中古盤・グッズをメルカリで探す